西国霊場めぐり
第四番 槇尾山 施福寺[槇尾寺]
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【第四番 槇尾山 施福寺[槇尾寺]】
宗派:天台宗
本尊:十一面千手千眼観世音菩薩
開基:行満上人
創建:欽明天皇時代(539〜571)
御詠歌:深山路や 檜原松原 わけゆけば 槇尾寺に 駒ぞいさめる
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西国札所屈指の難所は弘法大師が得度した山寺。
葛城山脈の北、槇尾山の山腹に建つ。標高530mの位置にあり、西国三十三ヶ所のうちでも屈指の難所といわれている。
【由来】
寺の創建は古く、仏教が伝来してまだ間もないころ、欽明天皇の命を受けて、播磨の国の行満上人が弥勒菩薩
を本尊として創建し、航海安全祈願の道場として発展した。役行者小角は法華経二十八品を写して葛城の峰々に分
けて納めたといわれ、ここ如法峯にはその巻の尾を納めたので、槇尾(巻尾)山と呼ぶようになったと伝わる。
宝亀2(771)年には、行基の高弟、法海が和泉大津の浦に浮かび上がる千手観音を感得し、その姿を刻んで本
尊とした。延暦12(793)年には、20歳の弘法大師空海がこの寺に住む奈良大安寺の高僧、勤操を慕って訪れ、
剃髪得度したという。 大師は唐から帰国すると再びこの寺にこもり、真言宗開宗の思索を練ったといわれる。
その後、寺は繁栄し、天正年間には寺領二万石、一山の坊舎約970、3千人の僧を抱える大寺院となったが、織田
信長の焼き討ちで諸堂は焼失、安政年間、信徒によって再建された。
樹林の間を参道が本堂まで約1q続く。「これより八丁」の町石と、それに寄り添うように立つ石仏をうしろに上る。
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