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四国八十八ヶ所霊場 第八十七番 補陀洛山観音院 長尾寺
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所在地:〒769-2302 香川県さぬき市長尾西653 電話:0879-52-2041 宿泊施設:なし
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【由来】
当寺は聖徳太子の開創と伝えられ、のち天平十一年(七三九年)行基菩薩がこの地を訪れて聖観世音菩薩を刻み、堂宇を建て安置
した。 弘法大師は唐へ渡る前に(年の始め七日)、の夜、護摩秘法を修めて丘の上から人々に護摩符を投げ与えたと伝わり、これ
が今日に至り毎年正月七日の大会陽福奪いの行事として残っている。唐から帰国した大師は天長二年(八二五年)堂塔を整備して、
八十七番の札所に定めたという。
【民話】
追手を避けて奥州へ向かう源義経と別れを惜しんだ愛妾の静御前は、吉野山を下りると、讃岐へ渡った。
文治四年(一一八八)のことである。讃岐の丹生の里は、母磯野禅師のふるさとであった。
娘は母を見やって思うのだ。「母がふるさとを出ていなかったら、自分は生まれていたろうか、そし
てあの方に会う機会も・・・・・・そして今」と。
母の血を受け継いで舞の名手として、京の都に聞こえたのは、静がわずか十歳の折。雨乞いの舞姫に
選ぱれたときの胸の鼓動を昨日のように覚えている。
そして、義経との出合い。幸福の日々。一変して兄頼朝との不和から今は、流離の身…。この
有為転変を、誰が予見しえたであろう。無常観にさいなまれた静に残されたものは、仏道修行のほか、
ありそうもなかった。
静は過去の思い出につながるものをすべて捨てる決意をした。心を殺して次々に打ち捨てる静の手が止
まった。ためらいつつ、母が手渡したものは、初音の鼓。義経の形見であった。船旅でも、潮風にあて
まいと、片ときも離さずにおいた鼓であった。静は胸のあたりで一打ちすると淵に投じた。
長尾に着いた二人は、すぐさま長尾寺で得度を受けた。母は磯野禅師、娘は有心尼の名前をもらった。
しばらく読経に明け暮れたのち、住職の有意阿闇梨のすすめもあって、山里の魚住庵に移った。その日
から親娘は、義経の菩提を弔う読経三味の暮らしに入った。
それから間もなくして、母が死んだ。生れ故郷を踏んで、ほっと安堵したのか、老衰であった。ねん
ごろに野辺送りをすませた静の信仰生活は、いっそう深いものとなっていった。身のまわりの世話を、
村里から雇い入れた一人の女に任せて、庵からでることはめったになかった。
その美しい顔だちは、闇夜の白い花を思わせたが、多年の心労がいつしか静の体をむしばみはじめてい
た。静は二十五歳になっていた。
病の床に伏せっていたある日、静は夢を見た。義経の前で舞っているのはまぎれもない黒髪の自分で
あった。
しづやしづ
しづのおだまきくり返し…
あろうことか、義経殿が吟じ、そして、初音の鼓を打っている、うれしやと駆け寄れば、主君はかき
消えてどこかで鼓の音がするばかり。あたり一面、花吹雪である。
静かに息を引きとったのは、その夜のことであった。
静の庵のあとは、今では小さなお堂が建ち、静薬師と呼ばれている。この薬師を信仰すると、婦人病
に効験があるといわれ、ひっそりとぬかずく女があとを絶たないという。
このほか静御前と母磯野禅師にまつわる場所・遺跡が周囲に多い。母娘が得度した長尾寺は、四国霊
場第八十七番札所として、今なお広い信仰を集めている。
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