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四国八十八ヶ所霊場 第八十番 白牛山千手院 国分寺

所在地:〒769-0102 香川県綾歌郡国分寺町国分2065
電話:087-874-0033
宿泊施設:なし

【由来】
天平十三年(七四一年)聖武天皇は各国に国分寺を建立せよと宣を賜われた。この寺はその勅命により行基菩薩が建てた国分寺で、 ご本尊千手観音立像も行基作。当時の金堂の跡が残っており、その広さは東西二十八メートル、南北十四メートルで、この中に三十三 個の大きな礎石がある。
天正年間に長曽我部軍の兵火にかかり堂塔は殆んど焼失したが本堂と鐘楼は難をまぬがれている。なお、本堂 は五間四面で入母屋造り。鎌倉のころの再建で国の重要文化財に指定されている。「国分寺へ帰る」と泣いた鐘は国宝である。

【民話】
どうどう むかしむかし、安原というところに、百々が淵という底なしの沼があって、だいじゃが住んどったんじゃと。
そのだいじゃが、遊びょる子どもをさろうたり、畑仕事をしよる村人たちまで、さろて行くようになったんじゃ。 ほんで、みんなは、がいにおじていたんじゃと。
困ってしもうた村のもんは、弓の名人の別子八郎という人にたのんで、このだいじゃを退治してもらうこ とにしたんじゃ。八郎は、じまんの弓と矢を持って、草のいっぱいしげった山道を登って、やっと、百々が 淵についた時は、もうばんげになっとったんじゃと。
ちょっと待っていたら、山のてっぺんの方から大風のふくような音がしてきて、雨も降り始めたんじゃと。
八郎がやみの中をじっと見よると、ぎらぎらするだいじゃの大きな目が見えたんで、力いっ様い弓をひいて、 だいじゃの頭をめがげてうったところが、カチンと頭にあたった矢は、はね返って来たんじゃと。
だいじゃは、頭にかねをかぶっていて、なんぽ強い弓でうっても、カチン、カチンいうてはね返るばかりするんじゃ。 そいで、八郎は、いつも信心している国分寺の観音様においのりして、また淵へ出かけて行ったんじゃ。 こんどは、かくし持っとった弓矢で、みごとに射とめることができたんじゃ。うたれただいじゃは、かぶっ ていたかねをぬいで、のたうちまわったんじゃと。
その晩は、大雨が降って、だいじゃの死体は、遠くの香西の海にうかんでいたということじゃ。
八郎は、これは観音様のお守りがあったからじゃ思うて、だいじゃのかぶっていた大がねを国分寺にほう のうしたそうじゃ。そのかねをついてみるとなんともいえんいい音を出して、村じゅうにひぴきわたったと いうことじゃ。
なん年かたったある日のことじゃ。高松のお城のとの様が国分寺にお参りになって、このかねの音がとて も気にいったんや。こんなによくひびくかねやから、
「ときを知らせるかねにしょう。」
思うて、お域へ持って帰ることになったんじゃ。
寺ではとの様の命令じゃから、しかたがないいうて、しぶしぶさし出すことにしたそうじゃ。運ぽうとした げど、重くてちょっとも動かん。なかなか運ぶことができんのじゃ。五十人もの大男が何日もかかってやっ とお城へ持って帰ったんじゃと。
「はようついてみ、いい音がするぞ。」
いうて、すぐついてみたけど、かねが ならんのじゃ。力じまんの男が何人もかかってつくと、やっと音が出たんじゃが、その音はまるで泣いている ように聞こえたそうじゃ。
「こくぶいぬ。こくぶいぬ。」
いうて聞こえてくるんじゃ。それから、
 かねがものいうた国分のかねが
 もとの国分へいぬというた
こんなうたがはやりだしたんじゃと。そいで、城の中では、との様が病気になったり、いろいろな変わっ たことや、困ったことがつぎつぎにおこったんで、みんなは、これはかねのたたりにちがいないといいだし たんじゃ。
そんで、との様はとうとう、
「しょうがないから、このかねをもとの国分寺へ返そう。」
ということにしたそうじゃ。
ほんだら、お城へ運ぶ時には五十人もかかったのに、いぬ時は、たった八人で、一日のうちに運ぶことがで げたそうじゃ。
もとの国分寺におさまったかねの音は、前よりもさえて、よくひびくようになり、人の心をなごませてく れているんじゃ。このかねはふしぎなかねで、冬でもあせをかいていることがあるというこっちゃ。
 かねがなるなる国分のかねが
 三里聞こえて二里うどむ
今でもこの土地の人々はこのかねの音を聞きながらこんな歌を歌っているんじゃ。

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