かつや旅館
HOME
島四国八十八ヶ所
西国霊場三十三ヶ所
お問い合わせ箱

霊場ドットコム

四国八十八ヶ所霊場 第七十七番 桑多山明王院 道隆寺

所在地:〒7664-0022 香川県仲多度郡多度津北鴨1−3−30町1435
電話:0877-32-3577
宿泊施設:なし

【由来】
天平勝宝元年(七四九年)、このあたり一大桑園が広がり、この桑園で和気道隆は誤って乳母を弓で射ってしまった。道隆はその供 養のために桑の大樹を切って薬師如来の小像を刻み、小堂を建てて安置したのがはじまりという。
その後、第二代住職・朝祐法師が七 堂伽藍を建立し、寺号を開祖の名をとって道隆寺と名づげたという。
のちに弘法大師が訪れて、薬師如来立像を刻み、道降の彫った小像を胎内に納めてご本尊とし、七十七番札所に定めた。また、観音堂 には理源大師作の観世音菩薩が、さらに持仏堂には智証大師作の大日如来が安置されている。

【民話】
江戸時代、奥白方に飛騨の匠にも一歩も引けをとらないという、名工団衛門という大工がいたよう だが、このはなしはそれより遠い昔の話である。
白方出身の芳という宮大工がいた。今日は浅草の観音様の廊下の修理にきていた。天気はいいし、 昼めしもたべ腹が満腹になったせいか、芳は廊下の角でコックリコックリと昼寝をしていた
何かそうぞうしいので自然に目がさめた。「あれ!!」これはどうしたことだ、今迄見たこともな い天女が降りてきて舞を舞っていた。芳はいそいで廊下の下にかくれ、天女がぬいでいった羽衣を 一枚懐に隠し、様子をながめていた。天女たちはひと踊りすると羽衣を肩にかけ天に飛びだしていった。
しかし、ただ一人だけ自分の羽衣がなく、天に昇れず泣いていた天女がいた。芳は自分が悪いこ とをしているとは知っていながら、その天女に慰めのことばをいい、家に連れ帰って夫婦となった。
時がすぎ芳と天女の間に女の子が生まれた。天女はもう大工の嫁として、人間として世話女房ぶ りを発揮し近所でも評判のいい女房となっていた。
そんなある年の正月を迎える準備にいそがしい、年の瀬であった。
「あんた、わたし今から娘の着 物を買いに行きますから、娘のことたのむよ。」
といって出ていった。
芳は、着物といわれて今迄忘れていた『羽衣』のことを思い出し行李に隠していた羽衣を出して 眺めていると、娘が『誰の?きれいね』といって芳の顔をのぞきこんだ。
「これか。これはお前の 物だがお母さんには言ったらいかんよ」
といった。
帰ってきた天女は買ってきた着物を娘に見せると
「そんな汚い着物よりきれいな着物がある」
といって、芳がしまっていた、行李から羽衣を出して見せた。天女は驚き、今迄芳をうたがった気持 ちもなかった自分はやはり天人だと悟り、その羽衣を着て、娘を連れ天へ昇っていった。そんなこ ともしらずに芳は餅をもって帰ってきた。
「おい、おい」
といっても返事がない、どうしたのだろう と部屋にはいると置手紙があり見ると、
「私たちは天へ帰る。来るのだったらこの歌を読んであとから来たら」
とある。大工の芳はその歌を読むと、紫雲が下りてきたので、それに乗って昇天した。
昇天した芳は大きな川にぶつかった。渡るに渡れず大きな声で妻子の名前をよんだ。しぱらくして いると川の向より、娘が「お父さん」天女が「あんた!!」と声がかえってきた。
「わしじゃ、わしじゃ、どうしたらそちらに渡れるのだ」
と聞くと、
「ここは天の川といって七 月七日の晩だけしか水がなくなりません。それまで待って下さい。私が言わなくてもそのわけはあ なたが一番よく解るでしょー。」
と天女が答えた。
芳はしかたなく、七月七日の七夕の晩まで待つことにきめ、川のほとりで『なし瓜』を作ってい たということじゃ--。
人というものは悪意が無くても、誰れかに迷惑をかけたり、かけられたりすることが多いという ことじゃとさー。

霊場ドットコム
お役立ちリンクサイト
Copyright (C) Reijo.com All Rights Reserved.