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四国八十八ヶ所霊場 第七十六番 鶏足山宝幢院 金倉寺
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所在地:〒769-0031 香川県善通寺市金蔵寺町1160 電話:0877-62-0845 宿泊施設:なし
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【由来】
宝亀五年(七七四年)弘法大師の甥にあたる智証大師の祖父、和気道菩の開基で、当時は道善寺と称していた。智証大師の誕生でも
ある。天安二年(八五八年)唐から帰国した智証大師は先祖の菩提に、と唐の青龍寺を摸して伽藍を造営し、のちに勅願寺となり、延長
六年(九二八年)醍醐天皇が金倉の郷にちなんで金倉寺に改称した。
寺運は大いに栄え、寺領も広大であったが、南北朝や室町の兵火のために縮小した。寛永十九年(一六四二年)に藩主松平公によって
再建され現在に至っている。
【民話】
金倉寺は、智証大師がお生まれになったところ。そして智証大師が子供の頃お守り
するために日本で初めて鬼子母神(きしもじん)が現れたお寺として知られています。
天台宗寺門派の租と仰がれる智証大師は弘仁五年(八一四年)にこの地の豪族の和
気宅成公を父君に、お大師さまの姪を母君としてお生れになりました。智証大師は子
供の頃日童丸と呼ばれ普通の子供とは違って小さな頃から大変賢く周囲の人々が驚く
程でした。
智証大師が二歳の時のこと、ある日屋敷の近くの畑から美しい光が射しているのを
見た附近の人々が何事かと驚いて駆けつけてみると、幼ない日童丸が只一人で遊んで
おられ、御体から何とも言えない後光が射していてその光が遠くからも見えていたの
です。その有様を見た人々はこうした不思議な後光が射すことはきっと仏さまが生れ
変わられたに違いない、行末は必ず立派な方におなりになるだろうと言い合い、このよ
うな立派な方がこの地のお生まれになったことを大変喜び合いました。
そして、智証大師が五歳の時のこと。一人の天女が現われ、私は虚空蔵菩薩の生れ
変わりで貴方が将来仏法をお伝えになるのなら、必ずお守り致しますと言われました。
この天女こそ鬼子母神だったのです。
鬼子母神は、五百人の子の母でありながら常に人の子供を食べていたので、お釈迦
さまは鬼子母神の最も大事にしていた末子を隠して、子供を失った母親の辛さを教えた
のちに仏の一つに加えられたのでした。
智証大師は鬼子母神(きしもじん)や文殊菩薩に守られて大きくなられ、唐へも勉強に行かれ修行
を重ねて仏法を広めることに一生を捧げられたのでした。
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