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四国八十八ヶ所霊場 第七十五番 五岳山誕生院 善通寺
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所在地:〒765-8506 香川県善通寺市善通寺町3−3−1 電話:0877-62-0111 宿泊施設:あり(250人)要予約。
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【由来】
"お大師さん"の愛称で親しまれている空海誕生の地であり、弘法大師三大霊場の一つでもある善通寺派の総本山である。
約十万平方メートルという広い境内総本山にふさわしい四国一の規模である。
大同二年(八〇七年)唐から帰朝した大師は先祖の氏寺を建てようとして、父善通師から荘園や邸宅の喜捨を受け、父の名をそのま
ま寺号にして善通寺、お寺のうしろの五つの山にちなんで五岳山、院号は大師の誕生したところから誕生院と名づけて、七十五番札所
と定めた。
【民話】
弘法大師は宝亀五年(七七四)讃岐国多度郡に生まれた。父は讃岐の名門で郡司佐伯直田公、ま
たの名を善通卿といい、母もまた学者の家柄阿刀氏の出身。大師は幼名を真魚といったが、そのこ
ろから、天稟に恵まれ神童と称されたという。たしかに誕生の経緯からして神秘的だ。
母は夢を見た。インドから飛来した聖人が、自分の懐に入ったのだー。すると母は身籠り、十二
か月も胎内にいてから生まれたのが真魚であった。
聖人とはインドから唐へ仏教を伝えた不空三蔵法師というから因縁は深い。
人々が「聖者の生まれ変わりだ」とささやいたとおり、幼年時の真魚は野に遊んでも泥土で仏塔
を作っては、これに礼拝するといった有様であった。
十二歳のころ、父母は真魚の将来を考え、仏縁浅からぬ子らしいと、仏弟子にさせることにした。
真魚は大変喜んだが、それにしてもまず漢籍を学ぶべきという考えから、十八歳のとき大学に入っ
て、明経道を修めた。エリート官僚のコースである。だがある日一人の修行僧と出会い、虚空蔵
求聞持寺法という神秘な修法を授けられ、真魚の進路は変わった。求聞持法とは真言一百万遍を百
日間にわたって念誦するものだが、その間に「一切の教法の文義を暗記することができる」という
ので、記憶力増進法としてこれをやっているうちに、釈尊の説いた仏教こそおのれの究むべき道と
考えたのだ。
そこで真魚は、延歴十二年(七九三)二十歳で出家し、和泉槇尾山の勤操僧都に師事した。法名
は如空。のちに教海といい、さらに二十二歳のとき空海と改名したのである。
空海は延暦二十三年、勤操の奏請により留学僧として遣唐使の一員に加わり、唐に渡った。そし
て長安の青竜寺で、密教の本師恵果阿闇梨の門に入ったが、恵果は空海を見るなり、その俊秀を見
ぬいて言った。
「われ先より汝のくるのを知りて待つこと久し」
時に恵果六十歳、空海三十二歳。恵果はわずか三か月の間に金・胎両部の大法、正統真言のこと
ごとくを空海に伝授した。終わりに臨み恵果は、 「早く故国に帰り、これを国家に奉り天下に流
布して蒼生の福を増やせ。しからぱ四海泰く、万人楽しません」 と言ったが、それが遺言となり、
忽然と死去した。空海は宿縁の深さにただ驚くばかりだった。真言第八相となった空海は恵果から
授けられた錫杖などを持ち、大同元年(八〇六)に帰朝、真言宗布教のための勅許を受けると翌二
年一門の氏寺を建てようと発願した。
父の荘田(しょうでん)に金堂・大塔・御摩堂など十御の堂を完成し、父の名にちなんで寺号を善通寺とつ
けたのである。
有名な国宝"一字一仏経"は法華経の功徳をたたえて作られたもので、経文と仏像画とが交互に書
写されている。
空海が一仏を描くと母が一字を筆書したと伝えられ、ここにも空海を思う母の心がにじんでいる。
空海は承和二年(八三五)、六十二歳で多彩な生涯を閉じた。
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