霊場ドットコム
四国八十八ヶ所霊場 第七十二番 我拝師山延命院 曼陀羅寺
|
所在地:〒765-0061 香川県善通寺市吉原町1380−1 電話:0877-63-0072 宿泊施設:なし
|
【由来】
弘法大師の一族である佐伯家の氏守として推古四年(五九六年)の建立。当時は世坂寺と号していた。大同二年(八〇七年)唐より
帰国した大師が母御の菩提を祈らんがため、唐の青龍寺に模した堂塔を建立。本尊として大日如来を勧請、御請来の金剛界、胎蔵界の
両界曼茶羅を安置したのにちなみ、寺号を曼茶羅寺に改め七十二番札所と定められた。境内には大師のお手植えの「不老の松」があり、
西行法師の「笠掛桜」と「昼寝石」の遺跡も残っている西行法師は平安の歌人として有名。
「笠はありその身はいかになりぬらん、あれはかなきあめが下かな」 と詠んでいる歌碑がある。
【民話】
昔々、山奥に炭焼きをしている五兵衛という一人の男がいた。 一寸人がええので三十を過ぎてもまだ嫁が
来ない。ボロを着て毎日毎日炭を焼いてはそれを担いて町へ売りに行って、お米や塩やいろいろなものをそ
の代りにもらって来て生活をしていた。そんな五兵衛にも人並はずれた技があった。細かいカズラでくくり
をしかけて、兎や山鳥を取ったり、石を投げるのが、大変な得意で、飛んでいる鳥を小石を投げて落とすと
いう腕前。
その貧乏五兵衛の処に或る日のこと、都からはるばる世にも珍らしい程の美しいお姫様が尋ねて来たのだ
から驚いた。
大昔のことだからはるばる海を越えて、山を越え谷を渡り野を過ぎ、幾度か道に迷いながら五兵衛という
男を探し求めて来たのである。そのお姫様は「あこや姫」といって、都でも稀といわれる器量よしで、その
両親の可愛がりようというのは並大抵ではなかった。
それはそれは、蝶よ花よと、おんぼ日傘で育てた甲斐があったと言うのに、或る夜のこと、あこや姫の夢枕
に観音様が現れて、 「お前の夫となる人は今、四国の大きな山の奥で、炭焼きをしているが、将来は億萬長
者になる強い運勢の者だから、その者を尋ねて行って嫁になるがよい。そしてお前も共にボロをまとうて炭
を焼け」 というお告げがあった。
娘の言葉を聞いた父も母も、嘆き悲しんだが姫の決意は固かった。両親に永の別れを告げて観音様の夢の
お告げを信じ、その道を頼りに、わらじ履きで馴れぬ足と体に鞭打ちながら、途中幾度か道に迷ったり時に
ほ野宿もしたりしながら尋ね当ててきた時は、長い旅の疲れですっかりやつれ果てていた。 五兵衛は姫の話
を聞いても聞き入れようとはしなかった。金もないし家もないし、こんな貧乏暮らしは、どうせよう辛抱せえ
へんから、といって何度も断ったが姫はその日から身に着けていた衣裳は惜しげもなく脱ぎ捨てて、ボロの
着物に着替えて一緒に炭焼きの仕事を始めた。
何年か経った或日のこと、五兵衛は始めて、お金というものを持って町へ買物に出かけた。行く途中、池
に沢山の鴨が泳いでいるのを見て、ああこの鴨をとって帰って、嫁さんを喜ばせてやろう、きっと、うまい
うまいと喜ぶに違いないと、持っていた巾着を鴨を目がけて投げつけた。狙いは狂わず流石名人だけあって、
一度に二羽の鴨を射止めたので五兵衛は大威張りで買物の事などトンと忘れてしもうて一目散に山小屋に帰
り自慢話をした。ところが大失敗、投げた巾着の中には金がはいっていたのである。嫁さんは、ああ惜しい
事をした。あれは私が家を出る時に、父親から 「これだけのお金があれぱ、二人で何年かは暮らせるから」
と言って持たせてくれた大切な宝物であったのに、何かの役に立てばと少しも手をつけずに今迄大事に大事
にしていたのに。池は深いし、何処に沈んだか全く探すあてもなかった。もうお金も無くなってしまった。
困ったものだと途方に暮れていたら、その話を聞いて、そんなものに全く頓着をしない五兵衛 「なあんだ、あ
んなものがそんなに大事なもんか、あんなもんなら、炭を焼く釜を掘っていたら大きなものが、たくさんな
んぽでも出て来たぞ」 と言い、二人が掘り起こしてみると、何と大きな金の塊が沢山に出て来たので二人は
手を取り合って喜び合った。それでも身体には、今迄どおりのボロの着物で炭俵の中に少しづつ金を入れて、
町へ売りに行き次第に大金持ちになったということである。
夢枕に立った観音様のお告げどおりになり、あの時のあこや姫が後の世に言い伝えられるあこや御前であ
るという昔話である。
|