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四国八十八ヶ所霊場 第六十八番 七宝山 神恵院
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所在地:〒768-0061 香川県観音寺市八幡町1−2−7 電話:0875-25-3871 宿泊施設:なし
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【由来】
文武天皇のころ(七〇三年)、海のかなたに神船が現われ琴の音が響き、おどろいた日証上人はそれを宇佐八幡のおつげと悟り、日
証上人は、その船を浜辺に引き寄せた。すると船中より「われは八幡大明神なり、宇佐より来たる、この地の風光いかにも明媚なり、
われ去りがたしと覚ゆ」とのご神宣があった。上人は里人数百人とともに神船と琴を琴弾山頂に引き揚げ社殿をつくって琴弾八幡とし
て祀ったのが始まりである。
そののち、大同二年(八〇二年)、諸国を行脚中の弘法大師が当山に留錫され、琴弾八幡宮の本地仏であ
る阿弥陀如来を染筆し本尊として、安置、六十八番札所と定められた。それ以来、明治初年の廃仏棄釈令によって、本尊は観音寺の西
金堂に移されたがため、一つの境内に二つの札所となった。
【民話】
むかし、むかし讃岐には飛騨の匠に肩を並べるほどのたいそう腕のいい宮大工さんたちが大勢いたという。
ここ豊田郡一の谷、池尻の里人の中にも非常に腕利きで立派な宮大工さんの棟梁がいたという。
ある日のこと、親方たちは、出雲の国、出雲大社の修復のため宮大工の仲間たちと一緒に出雲に出かけた。
その年は例年になく出雲地方にもたいそうたくさんの大雪の降る日が続いた。修復もほとんど終わっていた
が 「こんな大雪では仕事が出来ぬ、一度讃岐に帰って出なおそう」 ということになり帰路についた。
雪道をかきわけながら進んでいると、一羽の鶴が、うずくまっていた。 「おい!鶴がいるぞ!傷ついてい
るみたいだ……。」 と誰かが叫んだ。親方は声のする方へ急いで行った。 「可愛そうに、よしよし、わしが助
げてやる。」 といって周囲を見ると、もう一羽の鶴がいた。いまにも泣きそうな顔をして、親方を見て、
「お願い。その鶴は、私の主人です。帰路の途中猟師の鉄砲で羽を撃たれ、飛べなくなり、帰るに帰れなくなり
ました。」 「どうか、主人のことをお願いします。」 「私は一度帰りますが、かならず主人を迎えにまいります。」
「あなたのような立派な大工さんにめぐりあえた私たちは幸せです。」 といって、親方に深く頭を下げ、北
の空へ飛んで行った。
親方たち一行は大きなかごに鶴を入れ、宝物のように大切にふる里讃岐に帰ってきた。
この話を聞いた里人たちは、口ぐちに 「親方がたいそう立派な鶴を出雲からお土産でもって帰って来たん
じゃとさ。」 「鶴を見にいかんなアー」 といって、手弁当を持って棟梁の家に押しかけた。
このさわぎを庄屋さんが聞きつげ 「これはたいそう立派な鶴じゃ!。」 「こんなところでは可愛そうじゃ。」
「わしの池で飼うたら、ふなもどじょうもいっぱいいるきん、そうせい。」 といって池で飼うことにした。親
方は出雲からの帰り道のことや、鶴がかならず帰ってくるということを庄屋さんに話をした。
池にはなされた鶴はたいそう喜び大きな羽を何度も何度も広げては池の中にくちばしを入れ、ふなやど
じょうをうまそうに食べては、みんなに感謝をするように、何度も何度も頭を下げていた。
そして、一年が過ぎたある日のこと、三羽の鶴が天より舞いおりてきた。里人たちは、みんな騒ぎ
「鶴が来た。鶴が来た。」 と大さわぎになった。
「親方、鶴が来ましたよ。鶴が…。」 といって親方に知らせた。親方はとるものもとりあえず池に走っていった。
三羽の鶴の中でも立派な羽を持った一羽の鶴が親方を見るなり、懐かしそうに頭を下げ、 「ありがとうご
ざいました。」 「棟梁のお陰で、主人も私も、あの時私のお腹の中の子供も大きくなりました。」 「本当にあり
がとうございました。」 と親方に感謝の気持ちを身体全体で表現し、二羽の子鶴を親方に紹介するように、口
ばしで二羽の鶴を呼んでいる。親方も、あまりの感激でことばも出ず涙が頬をつたった。
そして、四羽の鶴は天高く舞い上がり、棟梁や庄屋さん、里人たちに感謝をしながら大空を何度も何度も
大きな円をかき、北の空へ消えて行ったとさ。
それ以来、年をおうごとに鶴の数はふえ、この平池、別名鶴沢池には昭和の初期まで鶴が飛来したという。
また、「観音寺にツルを呼ぶ市民の会」事務局(川鶴酒造内)では、夢よもう一度と会員全員が努力されている。
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