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四国八十八ヶ所霊場 第二十番 霊鷲山宝珠院 鶴林寺
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所在地:〒771-4303 徳島県勝浦郡勝浦町生名字鷲ヶ尾14 電話:0885-42-3020 宿泊施設:なし
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【由来】
「お鶴さん」「胸つき八丁」と呼ばれる阿波路の三難所寺のひと
つ。 延暦十七年(七九八年)桓武天皇は、当山を勅願道場として八堂伽藍を建立。この寺で修業中の弘法大師がある日、霊雲のたなび
く中を雌雄二羽の白鶴が、黄金の地蔵菩薩を互いに守護しながら老杉に舞い降りるのを見た。大師は直ちに地蔵菩薩を彫刻し、黄金像
をその胎内に納め本尊として安置し、山号は寺周辺の山容が印度の鷲峰山に似ているところから霊鷲山と号し、はるかに見える向かい
の山の太龍寺を金剛界そして鶴林寺を胎蔵界の道場ともなされた。
さらに大師は、先に地蔵菩薩を彫られたその残木で五種の鈴を刻み、爪彫りの堅額をのこされた。前述の本尊降臨の杉は本堂左側にあり、
大師お手植えの菩提樹もある。
寺は歴代皇家、武将の尊信を得て、阿波藩主は鶴林寺を祈願寺と定め、多くの山林、寺領を寄進した。
【由来】
昔、元禄の頃鶴林寺の山のふもとの久国村に伊三太という猟師が住んでいました。
ある日伊三太は弓矢を持ち、飼犬を連れて山へ猟に行きました。どういう訳かその日は夕方まで何もとれなかったのでした。
困った伊三太は鶴林寺の山林へ入れば獲物がいるだろうと思い鶴林寺の方へ行きました。
しかし、鶴林寺の山林は三百町歩もあり殺生禁断で鳥や動物をとってはいけなかっ
たのです。ところが突然伊三太の前に大きな猪が現われ、伊三太は急いで弓を構え矢
を放つと見事に猪の胸に命中しました。しかし猪は胸に矢をつけたまま本堂の方へ逃
げ去ったのでした。血の跡が本堂の前まで続いていたので伊三太は犬と共に本堂の中
を見たのですが猪は見当りません。
不思議に思った伊三太は住持の上人宥算に事の次第を話し、本尊の厨子を開けても
らったのでした。すると本尊地蔵菩薩のお胸に矢が突き刺さっているのです。これを
見た伊三太は驚き大変なことをしてしまったと後悔して、その後罪を償うために宥算
上人にしたがって出家し坊さんになりました。
地蔵菩薩は殺生禁断の掟を破った伊三太をいましめるために自ら猪に姿を変えられ
て犠牲になられたのです、これ以来「矢負地蔵」といわれるようになったのでした。
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